新聞記事

29年前、初めて、静岡新聞の記事(1979年)

  耳が不自由というハンディを背負いながら、黙々と走り続ける一人のろうあ青年。

 走ることを生きがいに、生まれつきのハンディと闘って、大会を目指しきょうもひた走る永井君に、会社の同僚やマラソン関係者は温かい声援を送っている。

 永井君が走ることに興味を覚えるようになったのは、浜松ろう学校中等部3年の時。校内マラソンで優勝して足に自信を持ち、沼津ろう学校高等部に進むと同時に創設の陸上部に入部、本格的に長距離ランナーとしての道を歩み出した。

 高等部3年時には、全国ろう学校陸上大会5千メートルで優勝。
 社会人に入ると、ますます力が入り、1977・1978年と全国ろうあ者体育大会1万メートルを連続制覇、ろうあ者陸上界の長距離ナンバーワンに成長した。

 「すべての面で、一般の人たちに負けたくない」これが走り続けている強い理由である。

 そんな気持ちを表すように、永井くんは健聴者に交じってマラソンに挑むようになった。

 初挑戦は一昨年の別府大分マラソン。この時は、ペースがつかめないうえ、コース途中に用意してある選手用飲み物を飲み過ぎて失敗、完走したものの3時間をオーバーしてしまった。

 昨年も別大マラソンに出場、前年の苦い経験を生かして健闘、2時間48分51秒のタイムで317人中123位となった。

 今年は「旅費がかやむ」ため、別府行きをやめ、京都マラソンに、エントリーした。この大会は、福岡国際、別大、大津などと並ぶマラソンのビックエベント。それだけに、練習にも一段と熱がこもり、連日、20キロ以上をこなしている。

 目標は「2時間40分を切ること。ペース配分もわかってきた。コンディションも上々。力いっぱい走ってきます。」と力強い。

 たった一人で、走り続けてきた永井君だが、走ることによって数多くの知人、友人を得た。

 地元の鈴木自動車(スズキ)、本田技研(ホンダ)の選手たち、それに大昭和勢などすっかり顔なじみになった。

 鈴木自動車のベテランランナー、安藤恒夫さんもその一人で「ハンディに打ち勝って走り続ける彼の姿には、頭が下がります。いつまでもがんばって欲しい」と励ます。

 永井君は「ボクが走れるのは、みんなが励ましてくれるうえに、会社が理解を示してくれるからです。気持ちにこたえる意味でも、走り続けます」と話している。