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嶋田裕子 (大阪府) |
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| 世界ろう者マラソン記録保持者:2時間53分56秒 | |
8年前、全国障害者スポーツ大会の時、偶然珍しいきれいなお嬢さんがぼくの所に来て、本当にびっくりした。嬉しかった。 早速彼女から、「永井さん一諸に走って下さい」と申し出を受けて、50分走した。ぼくは今までろう者女性と一緒に走った事が無かった。すごく走れた彼女はとても素晴らしい。 以後、ぼくはマラソンで強くなった秘訣等を沢山書いた手紙を送った。 現在もフルで頑張っている。ろう者女性は日本で一人だけ、マラソンで活躍してるが、もっと増えて欲しいね。 |
デフリンピック初出場&夏マラソン初挑戦!
デフリンピックは国際ろう者スポーツ委員会(CISS)が主催して、夏季大会と冬季大会が開かれます。
夏季大会は1924年にパリで初めて開催。日本選手団は、1965年夏季大会(ワシントン)から参加しています。
「世界ろう者競技大会(Deaf World Games)」の名称でスタートし、国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得て2001年夏季大会から「デフリンピック」(Deaflympics) に改称されました。
1960年に夏季大会が初めて開催されたパラリンピック(身障者五輪)よりも長い歴史を持っています。
それなのに日本にはまだ知らない人が多いです。本当に残念です。
でも4年前と比べて新聞やニュースでアピールしてもらえたので、知名度は少し上がったと思います。
20歳のとき、デフリンピックがあることは、知っていましたが、あの頃はスピードがなかったので「出場なんて無理や!」と思っていました。
でもいつか女子マラソンが新設されたら絶対に出たいと思っていました。
そして4年前に念願の女子マラソンが新種目になったのです。夢をあきらめず、走り続けていたからこそ、今回の出場につながり夢が実施でき本当によかったなあ〜と思っています。
第20回デフリンピック夏季大会は2005年1月5日から16日までオーストラリア・メルボルンで開かれました。
4年に1度開催されるデフリンピックには、世界81カ国、約4000人が参加し、16競技で行われました。
1月2日成田発。シドニー経由で1月3日メルボルン着。
メルボルン直行便のグループと分かれているシドニー乗換組は不便できつかった。
日本選手団は総勢102名。サッカーチームだけは予選リーグは開会式の前なので先に12/31で出発!陸上は4名。
監督、トレーナーを含めて、陸上チームは6名の他の競技に比べて少ないです。
簡単に紹介すると、監督、トレーナー、N君(男子800M及び1500M)、Bさん(女子やり投げ)、Kさん(男子1万M及びマラソン)、泉(女子1万M及びマラソン)。
1月4日と5日も会場のオリンピックパーク(*)で練習した。
朝夕は冷え込むけど昼間は「めちゃ暑い」ので体調を崩さないように気をつけながら過ごしました。
(*)オリンピックパークはメルボルン・オリンピック開催時にサッカーのメインスタジアムとして利用された場所らしい。
確かにトラック地面がまだ新しい状態でした。
デフリンピック後の17日からは隣で、全豪オープンテニスが開催されることを聞き、びっくり。
ズレ違って残念。メルボルンは公園が多いので、走るところには困らなかった。
市民も大勢走っているのでびっくりでした。ジョギングコースには距離表示もあるし、途中、街の多くの場所で飲料水もある。
日中は暑く、光も強いけれど、緑の豊かな公園であり木陰が覆ってくれているのでジョガーにはかなりいい環境だなぁと思いました。
ただ乾燥しやすいので水分を取らないと・・・と思いつつ・・・サマータイムで夜の20時になってまだまだ明るい。
1/5
夕方から開会式。 到着して3日目。
これまでメルボルンに来たもののなんとなくピーンと来なかった。
開会式でやっと実感が沸いてきた。
自分がオーストラリアを訪れただけではなくて、開会式では、世界各国(81カ国)から4千名もの選手がやってきていて、順に入場するのを初めて見てすごい!と感動しまくり。
開会式は結構長く、夜9時過ぎまで行なわれ、ようやく日が暮れて暗くなる頃(日が長いのも、ちょっと体調リズムが崩れてしまいそう・・・)
各国の選手は背が高く脚が長く、公式ウェアがスーツだったり、ブレーカーだったり、アメリカだけはショートパンツにカジュアル風でかっこよかった。
日本はジャージ。各国の選手に話しかけてみたものの、やはり陸上選手と友達になりたいと思った。
誰が長距離選手なのかわからない・・・明日1万Mで分かるだろう・・・それが楽しみになってきた。
1/6
いよいよ10000Mレース
私にとってトラックで10000Mに走るのは初めてだったのでもう緊張してレースが始まるまでに何回もトイレへ行った。
メインはマラソンなので気楽にペース走として走るつもりがスタートしたらあれ?私が先頭?ペースは400Mで90秒くらいなのに・・・
とにかく気にしないで走り続けたらあと残り3000Mくらい皆がペースが上げてついに追い越されてしまったあとはもう1人の旅になりゴールまで走り続けた。
39分37秒で6位でした。40分を切れたのでマラソンに向けていいぺース走になったので「よし!」としよう。
1/10
バララートで下見と試走
今日の陸上競技は、試合のない一日。
ゆっくりと観光して過ごした・・・
ではなく、これまで一番朝早く起床し、監督とKさんと3人はマラソンコースとなるバララート市へ出かけた。
バララート市はメルボルンから東に列車で90分と遠く離れた、のどかな街でした。
今回のマラソンコースは、バララート市のシンボル、ウェンドリー湖周辺を取り込んだ周回コースとなっている。(ウェンドリー湖は1956年メルボルンオリンピックの際、ボート競技の会場に使用された。)
避暑地というほど涼しくはないが、メルボルンと違って自然の中でゆったりとしたところでした。
ウェンドリー湖を4周回するコースの1周半くらい走っておいた。コースのほうは目に見えない窪みは何ケ所かあった。
1/11
37度まで上がるとニュースを見て朝早く起きて昼前までに練習済ませた。
昼になると蒸し風呂的な暑さだった。14日は朝7時半スタート。
ホテルをバスで出発するのが朝4時(日本時間午前2時)。身体のリズムを変えていかないと・・・。
1/12
今日は一転、27度と非常に快適な一日。
メルボルンは日夜の寒暖差もあって、日々の気温差も激しく、肌寒い日もあったり、暑苦しい日もあったりする。
それから、強い風が朝から夜までずっと吹き続けていた。
軽く40分JOG済ませた! あと2日なのでドキドキ・・・
1/13
いよいよ明日なのであまり疲れのないようにホテルでゆっくり過ごした。
休養しようと思ったけどやはり少しでも走りたくて15分くらいJOGした。
そのあと、お餅(たくさん)とごはんと味噌汁を食べてしばらくして明日の支度済ませて早い時間にベットの中に入った。
なかなか眠れなかったがいつのまにか自分がわからないくらい寝込んでいた。
1/14
朝2時半に起床!お餅(2個)、ごはん、味噌汁、グレープフルーツジュース。
支度してから日本陸上選手たちと役員たちと一緒にマイクロバスに乗って4時出発。
外は薄暗かった。
バスの中にトレーナーとBさんが作ってくれたおにぎりを食べながらのんびりし少し寝たりした。
5時半前にバララートに到着!まだ薄暗かった。なんだか落ち着かなくてバスを降りてちょっと歩いた。
ナンバーカード受付済ませてから15分くらいウォ―ミングアップを済ませた。
いよいよスタート時間が迫ってきた。
男子18人女子9人7時40分同時スタート!
女子は4人くらいもう早く走っていってしまった。
4分のペースくらいだったのでえっ!速すぎ・・・
暑いからだんだんペースが落ちてくるだろうと思いながら自分のペース(4分20秒くらい)で走りました。
コースでは1Kごと表示がなかったのでハッキリしたペースが分からなかった。
でも1周は約10.5Kなので予想しながら走り続けた。(1周の間に給水所は2ヶ所約6K&約9.5K)
2周めになったら3人に追いついたので2位になった。
監督が1位の差は4分って聞いて金メダルは厳しいなぁ・・・とにかく諦めないで追い抜いていくぞという気持ちで走り続けました。
3周めになったら少しすづペースが落ちてきたように感じてた。
だんだん人が少なくなってきて前も後ろも誰もいなくなって孤独との戦い!
1位の姿はまだ見えなかった・・・
4周めに入ってあと1周やから気合いでペースを上げて頑張ろうと思ったけど足はちょっと重く感じたけど少しでもペースを上げて走った。
36Kの給水を取ってから急に足が固まって動かなかった。
あれ?なんでだろう?と思いながらゴールまで走り続けなきゃあかんやと言い聞かせて走り続けた。
後ろが追いつかれたらどうしよう・・・後ろに振り向いたら誰もいなかったのでよかったけどあと残り6Kがあるから2位でキープできるかを気にしながら走った。
だんだん足が死んでるようだ。ゴールまで辿り着くことができるかな?とだんだん不安になった。
とにかく最後までしっかりと走るしかないだ!
もうフラフラ・・・。
やっとあと1キロやと思ってもものすごく長く感じて涙が出そうになった。我慢我慢・・・
やっとゴール!
3時間11分08秒。
ゴール後もう足が動かなくて立ち上がれなかったので初めて担架に乗せられ運ばれてしまいました。
なんだかカッコ悪い・・・
そのあともう気分が悪く寒気がして体が痙攣して動けなくなってしまったのでドクターに診てもらったら脱水症なので注射と点滴を受けるように指示があり、救急車まで運ばれて病院へ行って3時間も点滴を受けた。
やっと回復し戻ったらもう表彰式が終わっていることに気が付いた。表彰式台に立てなくて本当に残念でたまらなかった。
脱水症の原因は給水が足りなかったことでした。よく考えたらペットボトルの半分1/2だけで8本に分けを飲んだので少なかった。
今まで夏マラソンの経験はなく夏だとわかってはいたが自分では暑さは感じなかったため給水のとり方に注意が足りなかった。
初めからこまめに取っておくほうがよかったなぁと反省した。
でも夏マラソンという初めてのいい経験になってよかった。
そしてゴールは男子も女子も半分以上がリタリヤする中最後まで走り切れたことは、価値のある銀メダルだぁと実感した。
また4年後(台北)に忘れ物(金メダル)を取りにいきたいです。体力があればの話になりますが・・・。
これで終わり☆
全国ろう者マラソン紹介